院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


アロマ・アンド・ブーケ


 小高い丘の中腹にある私の家からは、旧糸満の町並みが左手に、正面には西崎市街、右手には新興の豊崎地区が眼下に見渡せる。水平線はわずかに弧を描いて海と空を境し、その狭間に慶良間諸島がいくつもの背を連ねる。さわやかに晴れた朝には、島々の白い砂浜と緑の木々が思いのほか近くに見えて私を驚かせる。一番星があかね色の空に輝き出す頃、東シナ海に沈む夕日を濃紺のシルエットで切り取る島影は、何度見ても新鮮な感動を与えてくれる。この場所に自宅を建てたのは八年前、その景観の良さが気に入ったからなのだが、中でも一等眺めのよい二階の北西の角部屋を、私は特別な部屋として設えた。


 この部屋のドア左側には飾り窓があり、ダウンライトに照らされて、ワインボトルとワイングラス、ソムリエ・ナイフが小粋にディスプレイされている。ドアを開けて中に入ると、黒とシルバーを基調とした内装。右の壁には、アクリル絵の具で描き上げた自画像、左は全面ガラス張りで、一階の吹き抜けリビングに懸垂されている円柱らせん状のシャンデリアを真横から眺めることができる。正面にはカウンターテーブルがあり、その向こうには西崎町の夜景が広がる。テーブルにはステンレスシルバーの手すりがあり、イタリア製スツールが四脚並ぶ。頭の高さで、各種ワイングラスがバジェット型のグラスハンガーに逆さまに吊り下げられており、シンク、食洗機、冷蔵庫が最適な場所に配置されている。つまり、私は身分不相応にも自宅にワインバーを造ってしまったのである。その店は「Aroma and Bouquet(アロマ・アンド・ブーケ)」と名付けられた。
  
 ワイン好きの方は、もうお気づきだと思うが、アロマとブーケという言葉は、ワイン用語では特別な意味を持つ。アロマとはブドウが果実として本来持っている香りで、グラスに注いだ瞬間に立ちこめる香りの事を言う。一方ブーケとは、ワインの熟成過程で醸し出される香りで、これはワインが空気と触れることによって強く感じられてくる。つまりワインをグラスに注ぎ、四十五度に傾けて鼻を近づけ、息を吸い込むと鼻腔に満ちる香りがアロマで、グラスの脚を持ちスワーリング(振る)すると、ふわっと漂ってくる、延髄から間脳に染み込むような香りがブーケである。そして、いつも奇跡的なことだと思うのだが、その二つの芳香は渾然一体となって大脳半球へと広がり、幸せを運んでくるのだ。アロマはブドウの品種とそのブドウの育まれたテロワール(気候、地形、地質、土壌などの複合的地域性)に強く影響を受ける。そして、そのアロマを土台にして、ワイン醸造家の努力と熱意が、時の流れという最高の友を得て胎動し、ブーケが誕生する。


 自宅内ワインバー「アロマ・アンド・ブーケ」という名前の由来には、今述べたワインの蘊蓄を縦糸にして、横糸にはいささか作為的なアナロジーを用意している。アロマとブーケの関係は、ワインだけでなく、われわれ人間という存在にも当てはまるだろう。遺伝学的に定められた個体として生まれ、なお十数年は与えられた環境の中で育ち、それを支えに、あるいはそれを引きずりながら、自我の目覚めと社会との葛藤の中で、アイデンティティーや人格を形成していく。氏素性としての自分(アロマ)と、様々な経験を通して培ってきた自分(ブーケ)、時としてそれらは助け合い、あるいは反目しながら日々の暮らしを暮らし、一生一度の大舞台を生きていく。すでに私は気づいている。無欲な理想主義者も利に聡い現実主義者も、あるいは未来を夢想する楽観論者も将来に恐々とする悲観論者も、さては痩せたソクラテスも太った豚も、つまりは自分という一本のボトルの裡にあるアロマとブーケであると。そして、いつか私は悟るだろう。人生とは、人それぞれに香り立つ、滋味掬すべきワインなのだと。


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